田町でランチを食べてから歩いて行ったことのない泉岳寺へ
細い道の奥
義士祭典修行と看板
これははるか上のほうに置いてあって見えにくい大石内蔵助さん
おぉなんか祭り
水飴懐かしいが色付きなのは時代
お腹いっぱいだけどなんか楽しいぞ
赤穂の塩 いつもは3日今年は1日だけだったような反対だったような
なんとお墓参りも出来るようです
お墓参りにいく
そういえば12月といえば討ち入りだよね
300円でお参り代 2本ずつお供えください
こんなにたくさんもらっても→足りなくなった
そうよ47しですものね
雰囲気をお伝えしますがならび順は違ってます
ご遺族なのか推し活なのかお供えがあるところも
お名前の他、たぶん戒名、年齢が書いてある
年齢が書いてあることで妙な親近感といいますかぐっと身近に感じます
2本づつ、なぜか足りなくなる!
ものすごい線香の煙で目が痛くなりましたし衣服にもたっぷりと
ここにいくまえに、いつもなら入れないガラス張りですよ、ぜひ自刃の地へと熱く勧めてくださる方々が
ところどころご案内がいるが一番最初のむかいはじめがわかりにくく
これは正しき道から参道を振り返った写真
山門でてきてすぐ左
この細さ
この細い道を通れるだけでわくわく
このあとぜはぜは言う坂が
その上に案内人、もうここからはフラットですお疲れ様でした
左、横断歩道渡って進んでください
ひとまずこのまま進むか
曲がる門にも案内人がいてくれたおかげで進めるそうでなければ不安な進む道
幽霊出そうで怖かったですが説明が秀逸!
素晴らしかったです
怖かったけど
下記ご説明要約意訳
保存したいので2団体が運営しているs35に石をおいた
それまでは石はなかった
書院が右手左には能舞台がありそこに切腹する人は控えていた
17名赤穂の義士をお預かり
切腹の順番さ大石内蔵助が一番目
畳三枚のうえに白い大きな布をひいて
大石さんたち一人づつと首切る介錯人そして死体検分人が書院のほうに
三方の上の単刀をとるときに首が伸びる、そこを介錯する
毛利家のはざま氏は目を盗んで自分で本当に切腹した46名のうち一人だけ
それ以外はお腹切ってない
この時代はもう形式的
まぁ首はとぶ
遺体持ってって、畳新しいのと風呂敷交換して、汚れた土も交換して
2/4 16時から2時間で一人あたり6から7分
辞世の句をを読んでる時間はない
ざかん(座棺)のなかに遺体を座らせて膝の上にみしるし(切った首)を置いた
夜中には泉岳寺へ朝には泉岳寺に葬った
墓石の下に遺体がすべてあるわけではない棺桶大きいからね
この切腹の地だけはお寺さんをよんでお祓いしてない
細川家は当家の守り神である
切腹地は終生残すように
と言い伝えた
35年に塀なども作った
日本人の精神文化の象徴、武士道の道徳心を伝えるため歴史的出来事を保存して継承していくことに
お土産にカードも頂きました
気づかなかったけど裏面にご案内があり
そこから高輪ゲートウェイ駅へ
ここの工事が変わればまた新しい街となるね
面白くなくてもたいしたことなくても蓄積すればなにか見えてくるのでは。なにせ昨今忘却が激しいための覚書